英文を伝わりにくくしている原因は、手段と目的の履き違いかもしれない。

日本中に出回っている翻訳を読んで、首を傾げる英語ネイティブが多くいます。理由を尋ねると、文法は間違っていなが、どうもしっくりこないというのです。

その原因を探れば探るほど、私には、男女間の会話スタイルの違いから生まれる違和感に近いように思えてなりません。男女間の会話スタイルの違いとは、会話中に女性は感情の同調を重要視する傾向があり、男性は道筋を立て順を追って話し、解決策を講じる傾向が強いということ。

この違いから、女性は男性の返答を冷たく感じ、男性は女性が何を言いたいのか良く解らないと思うことがあります。表現手法によるズレが、男女間の誤解を生む原因となるというのは有名な話です。

同じように、日本語と英語に表現手法からくるズレがあるとしたら、誤解を生む前に手を打つ必要があると思い、私なりに整理してみる事にしました。

 

Challengeの使い方で考えてみる。

Challengeは比較的早く習います。また、カタカナ英語として定着していることもあり、とても身近な単語です。

例えば、「東大の試験にチャレンジした」「ドリアンを食べることにチャンレジした」などのように使うことがあるでしょう。
この場合、その人にとって大きな勇気が必要で、できるかできないか分からないが、やる気がある!「困難に挑む」という意味として使われています。日本語ネイティブの私からみても特に不自然さは感じません。

しかし、英語ネイティブは次のように捉えます。


  • 「I challenged the exam to get into Tokyo University.(東大の試験にチャレンジした)」

試験自体は誰でも受けられるのだからChallengeではない。
東大に受かり、知識を得、それを使用して、困難な物事を解決することがChallengeであって、試験を受けること自体ではない。

また、「東大」という有名大学であれば、そのネーミングだけで困難さは十分に伝わるため、わざわざChallengeを使用してアピールする必要はない。単に「 I took the exam to get into Tokyo University.(私は東大の試験を受けた)」といえば十分である。


  • 「I challenged to eat Durian.(ドリアンを食べることにチャンレジした)」

世界中のフルーツを制覇する記録に対して挑戦するのであればChallengeと言えるが、単にドリアンを食べる事を言いたのであれば「I ate Durian.(私はドリアンを食べた)/ I gathered my courage and ate a durian.(私は勇気を出してドリアンを食べた)」と、eat(ate)でよい。

あるいは、tryを使用し、「 I tried eating a durian.(ドリアンを試してみた)」と表現する方法もよい。


 

こうしてみると、日本語のチャレンジは広く浅く「困難に挑む」場合に使用されています。根本的な問題や挑戦に対してだけでなく、その手段や工程に対しても使われています。

一方、英語の場合は「具体的な難問や記録・特定のスキルを育てたり発達させる」場合に使用されます。※チャレンジにはその他にも意味はありますが、ここでは困難に挑む場合の使い方にのみ取り上げています。

英語のChallengeは目的に注力しているのに、日本語のチャレンジはそうではない。

日本語のチャンレンジの曖昧さを残したまま直訳された翻訳は、英語ネイティブにとって「意味は分かるが、しっくりこない」という現象を引き起こします。彼らに「この日本人は手段と目的を履き違えている」と思われても不思議ではありません。

 

曖昧な日本語に、私たち自身が振り回されていないか。

チャレンジに限らず、日本語はひとつの言葉に複数の意味やニュアンスを持たせたり、受け取る相手に意図を汲み取るらせることを前提として使用されることが多くあります。
これは、“おもてなし”に繋がる「察する」という日本文化が根底にあるように思います。

広い意味やニュアンスを持つ言葉を意図的に・自在に使いこなし、理解にも長けていれば、高度なコミュニケーションとなります。

しかし、日常的になり過ぎていることで、知らず知らずの間に、話し手自身さえ何を伝えたいのか具体的に理解できていないまま、言葉にしているのではないか。これが原因で様々なトラブルや手段と目的が混乱してしまう事態が起こってしまっているのではないか・・・。

例えば、よい大学に入ることや結婚をすることは、幸せになるひとつの手段にすぎないのに、まるで目的のようになってしまっている日本人が多いのも、こういった事が原因のひとつなのかもしれません。

曖昧な状態で言葉を発することで、元となる考え方までも曖昧になっている可能性はないか、と考えると心配になります。

 


 

日本人同士でさえ、「そういうつもりじゃなかった」とトラブルが発生する場面があります。

日本語の感覚で、言語をそのまま英語にした場合、文法的に正しい言語を作ることできても、so what?(だから何?)と思われたり、誤解を与え、円滑にコミュニケーションが進まないこともあるでしょう。

明らかに大きな間違えや差異は目に付くので発見・訂正は早いものです。しかし、小さなズレは知らぬ間に大きくなり、後々大きな事件になりかねません。

トラブルになる前に、考え方の違いからくる言葉の選び方について調整する試みをおすすめします。

そして、その試みが、よりよいコミュニケーションに繋がりますように。

 

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このブログの執筆者:AKIKO SANO
筑波大学芸術専門学群グラフィックデザイン専攻2000年卒/印刷会社勤務の後、製茶メーカー商品開発及び広報を担当/大手自動車メーカー公式サイトディレクターとして主に世界中で展開されるCSR・環境・社会貢献活動をWEBで紹介する業務に従事/2006年より独立。2017年4月より英文広告制作に力を入れるべく英告堂を立ち上げ、サービス開始。

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